2011年11月13日

紅葉狩り&ワカサギ釣り@山中湖

shunがとても素敵な古民家を見つけてきたので
(しかも我らが昔から大好きな忍野八海)
迷わず、この週末は、山中湖に繰り出しました。

山中湖はちょうど紅葉のピークで、
土曜は湖畔散策を満喫。

翌日は早くに宿を出て、山中湖でわかさぎ釣り。
はじめてのトライアルに4人とも湖上でやや興奮気味。


IMGP4079.JPG
旭日丘湖畔緑地公園の紅葉まつり会場にて。

IMGP4067.JPG
行きの車の中の、パパとのしりとりで「リヤカー」を知らなかったタイシ。
さっそく旅先で、リヤカーに巡り合えたので、しばし遊ばせました、笑。

IMGP4163.JPG
めずらしく、凛々しい、リリカ。
富士山も美しいけど、凛としたあなたも美しい^^。

IMGP4193.JPG
50匹をゲット。 海釣りほどの手ごたえは感じられないけれど、
このお手軽感が、4人でいくにはピッタリ。




色とりどりの葉っぱを手に「これがきれい」「あっちのほうがいい」とか、
5時間も湖上の上の貸切ボートで揺られながら、
「きた?」「うん、きたきた!」だの、「あ〜 逃げられた!」だの・・・
そんな、一見、なんてことない会話だけで時間が過ぎていく、

でも、こんなやりとりこそが、家族だなあと思いながら
美しい富士山と、紅葉の世界をあとにして、
帰路につきました。

ホッとした週末。
nice weekendを ありがとう!





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


posted by takonosuke at 22:50| Comment(4) | TrackBack(0) | 家族日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

ジャカルタで思うことB打てば響く



ジャカルタの子供たち。
底抜けに明るかった。

そして、とても日本人に近い感覚の「恥じらい」の意識がありながら、
そっと近寄ってきて、すぐに愛着を示す。 

彼らの年上の人へのあいさつ(リスペクト)の表現方法として、
握手のように相手の手を受けて、自分の額にペタンとその手を押し当てる、
というしぐさがある。

1,2歳のころから、礼節表現のひとつとして、親はそれを子に教えるのだという。


ジャカルタでも郊外のほうの学校を訪ねたとき、
日本人がめずらしい彼らは、とにかく我々と握手をしたく、次々に駆け寄ってきては、
そのあまりにかわいらしい仕草を繰り返してくれるのだった。

とても心に残る時間だった。


インドネシア国民の上位層0.1%が通うような、超上流の私立校もみたけれど、
公立校に通う一般的な(もしくは、かなり貧しい)子供たちの目のほうが、
あきらかにイキイキとしているのが印象的だった。

打てば響く、みずみずしい生命感、躍動感のようなものが、その瞳に輝いていた。

基本的に、ハングリーなのだと思う。

何かを求めている。 おもしろいものを見つけたい。 近寄りたい。 
そのものに自分から働きかけてみたい。
そんな好奇心にあふれていた。

これが、子供の瞳だ。

打てば響く、
その、澄みきった、豊かな感受性、これを持てている子のほうが幸せだ、と直感的に思う。
彼らは生きる喜びにあふれてる。
この輝きこそ、このあとの生きる力につながっていくはず。

おそらく。
大人が準備しすぎるほど、作り上げた世界を用意すればするほど、
彼らの創造力は色を失っていく。

子供に与えるモノや環境は、
できるかぎり未完全であるほうがよい。

まだ未完成のもの、手つかずのもの、まだ何も生まれていないけれどワクワクさせるもの。

そうしたものに出会うとき、子供の輝きが引き出されていく。


以前から思っていたこを、あらためて確信した。

子供には、用意されすぎない環境のほうが必要。
誰かに何かを与えられるより、
自ら手を伸ばしてなにかを求めるときに、彼らの輝きは増していく。



IMGP0991tri.jpg
The children in Jakarta was really pure, friendly and very polite.






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年11月04日

ジャカルタで思うことA戦う土俵を間違うな


今の会社の中ではめずらしく
男性の多い部署で仕事をしている。

ときどき、勘違いした自分が血迷って
男性に負けないように、と肩ひじ張っていることに気づく。

それは、違う、土俵が違う。

まず、自分は24時間、戦えない。
自分の120%を仕事に、注げない。

そのことを悔しいと思う自分がいる、
もっとできたら、と思うことがしょっちゅうある、

でも、それは違う、土俵が違う。



母親であること、妻であること、家庭人であること。

男性陣とは、まったく違った性質をもっており、特性も志向も思考も異なっている自分。


100歩さがって、違う土俵で戦わないと、戦う相手を間違える。

目の前の仕事をとれないことが悔しい、
やればできるかもしれない仕事に120%注げないことがあるのがとてもとても悔しい、

でも、もっと譲って、100歩下がって、もっと、自分を全体的に、一段上から見たときに、
全体として、人生として、もっと成し遂げられる何かがあるはず、

そこを見ていないと、戦う土俵を間違える。


たぶん、今の自分がバランスを失っている理由はここにあると思う、
ここの土俵でも、あっちの土俵でも120%を尽くしていたい、

でも、どうがんばっても、どう背伸びしても、ありのままの100%でしかない自分がいる。

もうちょっと、努力する手は本当にないのだろうか。
あるある、ありまくる、全然がんばれていない、と思うことがたくさんある。

この1年、アンバランスなまま、時だけが過ぎていく。

何も成し遂げられていないような、
同じ場所でひたすらにオールをこぎ続けているような、
努力しきれていない自分をうらめしく思うような、

この1年は、そんな悔しい時間となっている。


私はこのまま、何かをあきらめるのだろうか?

それとも、どこかに突き抜けるための光が見えてくるのか?







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


posted by takonosuke at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事モード!! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジャカルタで思うこと@四季


南国にくるといつも思う。
こんなに暑くて、こんなに明るくて。
こんなにフルーツがおいしくて、こんなにオープンで。

こんな場所で暮らせたら、どんなに明るく開放的な人生になるだろうと。
毎日笑って暮らせるような気がしてしまう。

でも。
おそらく、想像できる。

日本の四季、 four seasons がなかったら、今の私はできていなかった。


春先の浮き立つようなさわやかさに心くすぐられ、

真夏の照りつける太陽に心を焦がされ、好きなだけ自由人になり。

秋の紅葉の美しさに目を奪われて、ざわざわと胸の波動を感じたり、

冬の凍てつく寒さに、ひとりでいる孤独さと、誰かの小さな温もりを感じ取る。


四季を感じる自分がいなかったら、
こんなに淋しくなることもなければ、こんなに温かさを知ることもなかった。

自然に訪れる四季の変化に
ごく自然に寄り添い、身も心も、その流れの中に浸して漂わせながら生きること、
そんな生活の中で育まれる性質のものが、間違いなく、ある。


彩りある四季の中に生きる幸せ、
これは普段、あたりまえすぎて、なかなか気づけない、でもとても貴重な幸せ。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




posted by takonosuke at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | わたし時間、ひとり時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。