2011年11月05日

ジャカルタで思うことB打てば響く



ジャカルタの子供たち。
底抜けに明るかった。

そして、とても日本人に近い感覚の「恥じらい」の意識がありながら、
そっと近寄ってきて、すぐに愛着を示す。 

彼らの年上の人へのあいさつ(リスペクト)の表現方法として、
握手のように相手の手を受けて、自分の額にペタンとその手を押し当てる、
というしぐさがある。

1,2歳のころから、礼節表現のひとつとして、親はそれを子に教えるのだという。


ジャカルタでも郊外のほうの学校を訪ねたとき、
日本人がめずらしい彼らは、とにかく我々と握手をしたく、次々に駆け寄ってきては、
そのあまりにかわいらしい仕草を繰り返してくれるのだった。

とても心に残る時間だった。


インドネシア国民の上位層0.1%が通うような、超上流の私立校もみたけれど、
公立校に通う一般的な(もしくは、かなり貧しい)子供たちの目のほうが、
あきらかにイキイキとしているのが印象的だった。

打てば響く、みずみずしい生命感、躍動感のようなものが、その瞳に輝いていた。

基本的に、ハングリーなのだと思う。

何かを求めている。 おもしろいものを見つけたい。 近寄りたい。 
そのものに自分から働きかけてみたい。
そんな好奇心にあふれていた。

これが、子供の瞳だ。

打てば響く、
その、澄みきった、豊かな感受性、これを持てている子のほうが幸せだ、と直感的に思う。
彼らは生きる喜びにあふれてる。
この輝きこそ、このあとの生きる力につながっていくはず。

おそらく。
大人が準備しすぎるほど、作り上げた世界を用意すればするほど、
彼らの創造力は色を失っていく。

子供に与えるモノや環境は、
できるかぎり未完全であるほうがよい。

まだ未完成のもの、手つかずのもの、まだ何も生まれていないけれどワクワクさせるもの。

そうしたものに出会うとき、子供の輝きが引き出されていく。


以前から思っていたこを、あらためて確信した。

子供には、用意されすぎない環境のほうが必要。
誰かに何かを与えられるより、
自ら手を伸ばしてなにかを求めるときに、彼らの輝きは増していく。



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The children in Jakarta was really pure, friendly and very polite.






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